私はたぶん割と自由人だと思います。
自分自身が自由でありたいという気持ちに気付かず、20代の時は自由人みたいな男性と付き合っていたものです。
当時は本当にサラリーマンと結婚したら私の人生が終わると思っていました。
でも実際は違って、相手がサラリーマンだとしても、私がやりたいことに賛同してくれる又は非難しないのであればよかったのです。
例えばパートナーが、私はインドに行って日本語を教える仕事をしたいのと言った時、どれほどの人が賛成してくれるでしょうか?
そんな話をしたら思い出したことがあります。
大学4年生の秋、周りは就職先が決まっている頃、私はある決意をしました。
その時点で一度も大学の就職セミナーには参加していなかったし、応募も一応してみた会社が2、3社?やっとこぎつけた面接ではスカートは絶対履きたくなかったので、家にあった安いパンツスーツで臨み、我ながら訳のわからない思想を主張しました。
一般的な就職活動において当時はリクルートスーツが必須でパンツスタイルの女子はいなかったと思います。
遅れて来た厨二病ですね。
当然、先に進むこともなく、そもそも別に私もその会社で働きたいわけでもないし、というか、働きたい会社ってどうやって見つけるの?という状態でした。
そんな時にわたしは決意したのです。
やっぱり日本語教師になろうと。
元々日本語教師を職にしていた先輩がいたので、そういう職業があるということは知っていました。
色々その仕事について知っていくうちに、私にぴったりの仕事ではないか?と思い、今度はなる方法を調べました。
大学で主専攻にしていなければ、養成講座に通わなくてはいけないとのこと。
けっこうお金がかかるな…
幸いなことに、我が家では実の姉が大学を卒業後にアルバイトで学費を稼ぎ、製菓専門学校に通った前歴?があるので私も自力で稼ぐと言えば許されるのではないか?と思いました。
大体調べて見通しが立った状態で、母に言いました。(父は単身赴任中)
お母さん、私考えたの…実は日本語教師になりたい!
意を決してそう伝えたのです。
どんな反応が返ってくるんだろう?
バカ言ってんじゃないよ!と言われるか?
すると母はあっそうなんだ、いいんじゃない?と一言で済ませました。
えっ、それで終わり?色々受け答えのシミュレーションしてたけど…
昼下がり、実家のリビングで話したことを今でもはっきり覚えています。
拍子抜けとはこのことです。
自由人になる素は母から来ていたのかもしれません。
今、わたしはベランダで、インフィニティチェアに寝転び、月を眺めながらブログを書いています。
なんて幸せなんだろう。
ほしいものは今手に入れようとしなければいつまでも手に入らない。

ベランダでのんびりしたいという願望があるなら、それを実現するために必要なことを考えて用意すればいい。
だいたいのことは叶います。


コメント